ヘレナ・リーがリッカードに嫁いだことにより、四家族の没落と分裂は他国の人間にも知れ渡った。惑星連合と国交のある通商連盟だけでなく、慢性的な戦争状態にある自由連邦と共同体でも、リッカードの結婚は多大な注目を集めた。惑星連合の内紛が次の段階へと移行したことは、全銀河が知るところとなったのである。
宇宙暦四二三年に生きた人々は、このリッカードの結婚をどのように受け止めたのか。
自由連邦や共同体に住まう人々の多くは、絶好の機会と捉えた。四家族の分裂とリッカード派の台頭はさらに進み、惑星連合の国内は混迷の度合いを増すであろう。最悪の場合、内戦に発展することも考えられた。
さらに、ライナス・ウェストール、リネット・サトクリフ、惑星連合の誇る両名将が、一時的にとはいえ、最前線から離れているのである。今こそ、惑星連合に対して全面攻勢に出る好機であった。
その一方で、慎重論も根強くあった。彼らは過去の事例を持ち出し、積極的な軍事侵攻を声高に叫ぶ人々を、必死で抑えようとした。これまでの四〇〇年間、惑星連合内部で起こった政争や国内分裂は一度だけではない。その度に、他国は惑星連合へと攻め込み、その脅威を取り除こうとした。
しかし、彼らが勝者になることはなかったのだ。どれだけ国内が乱れていようと、どれだけ権力争いを続けていようと、惑星連合は他国からの侵略に一致団結して立ち向かった。そして、惑星連合は勝利してきたのである。
「ここで軍事活動に訴えれば、惑星連合は再び一つにまとまってしまう。それよりも、分裂した惑星連合国内の一派を支援し、惑星連合の分裂を更に加速させるべきだ。それと同時に、通商連盟への働きかけを強め、惑星連合を孤立させる。三カ国による外圧と国内混乱の内圧により、惑星連合は自然と崩壊するであろう」
惑星連合に対する慎重派の戦略を最も端的に語ったのは、共同体の対外交渉担当大臣であった、ロジェ・レイノーである。彼を含む慎重派の代表格であったのが、自由連邦では大統領アリシア・ヒューズであり、共同体ではサミュエル・シングルトン中将であった。両者ともに、戦争は政略の最終手段であることを理解している人物である。
慎重派の意見は人々の幾割かに浸透していった。戦乱の時代とはいえ、戦争以外の手段を好ましく思う人間が多いのは当然のことだ。
だが、積極派も確固たる支持を集めていた。自由連邦と共同体の民衆の多くが、惑星連合を脅威に感じていたのである。
「惑星連合の国内が乱れている今こそ、攻勢を強めるべきである。絶えず攻め続け、疲弊させ、彼らから戦う意欲を奪わなければならない。外交的孤立など、惑星連合には何ら効果を示さないのだ。そのような手緩い手段で惑星連合が止められるならば、この四〇〇年間のどこかで、止めることができたはずではないか」
自由連邦副大統領ニコラス・シャトナーがこう断言すれば、彼の参謀的存在である、国防長官ランス・ディクソンも続いた。
「どれだけ国内が混乱しようとも、惑星連合は惑星連合でしかない。彼らは軍事力を持って、全銀河を支配下に置くことしか考えていないのだ。この脅威に我々はどう立ち向かうべきか。答えは実に単純だ。滅ぼせば良い。銀河に巣食う害虫は、駆除されるべきなのだ」
このディクソンの発言はあまりに稚拙で直截に過ぎたため、慎重派の政治家から糾弾されることになる。
しかし、この発言が人々から多くの支持を集めたことも事実であった。敵は滅ぼす。害虫は駆除する。自由連邦を脅かす惑星連合に対する最も簡単な対策が、最も簡単な喩えで表現されたのだ。大衆を煽動するのには有効な発言であったのだ。
惑星連合への早期侵攻と説く積極派は、数の上で慎重派を上回った。身近に脅威が迫ったなら、早急に取り除く。問題を解決の方法は単純であればあるほど、人の共感を得ることができるのである。
「軍部を抑えるのも、そろそろ限界ね」
二つの月が照らす砂浜を、潮騒が豊かに歌い上げる。星屑を散りばめた夜空は大気によって美しく屈折させられ、地表に住まう人々へとその姿を見せつける。
「ケネス・リッカードの結婚で、惑星連合国内が更に乱れる。この機に乗じて本格的な侵攻を開始せよ。……口で言うのは簡単だけれど、彼らでは惑星連合に勝利することはできないと思う」
自然の作り上げた夜景を見上げているのは、星々に負けない輝きを放つセミロングの金髪を持つ女性だった。汚れるのも構わず砂浜の上に座り込んでいる。伸ばした足の先を海水が撫でていた。
「惑星連合軍は物量だけで押し切れる相手じゃない。特に、ライナス・ウェストールを始めとする星の翼には、数の差なんて通用しないわ。……本職の前で軍事を語るなんて、ちょっと傲慢かな？」
「そうでもない。あなたの分析は現実に即している」
深い知性と確かな品格を兼ね備えた金髪の女性の隣では、均整のとれた体を軍服で包んだ女性が寝転んでいた。人を惹きつけて止まない美貌の持ち主で、褐色の肌と紫黒の髪が同性からの羨望と男性からの欲望を誘う。
「たとえ倍の戦力を有していても、ライナス・ウェストールに勝つことは難しい。彼の戦術手腕はそれだけ際立っている」
「あなたが指揮していても？」
「私が指揮していれば勝つ」
尋ねられた紫黒の髪の女性は天を見上げたまま答えた。増長でも傲慢でもなく、そこには確かな自信がある。
宇宙暦四二三年当時、ライナス・ウェストールに匹敵する、もしくは対等に戦えると考えられていた軍人は数少ない。その筆頭は共同体のサミュエル・シングルトンであったが、今、砂浜で寝そべるこの紫黒髪の女性こそ、シングルトンに次ぐ存在と思われていた。
アリシア・デュバル。元帥。自由連邦軍の最精鋭部隊である、海兵隊の司令長官にして、海兵宇宙軍の司令官である。前年のデウェラ星系の戦いではリネット・サトクリフの前に敗退を余儀なくされたものの、彼女が銀河有数の指揮官であることに変わりはなかった。
「……まあ、倍の戦力で戦える状況など、そう簡単に作れるとは思えない」
「そのとおりね。ライナス・ウェストールがそうそうミスを犯してくれるはずもない。……でも、あのちょっと頼りなさそうな共同体の彼なら、それくらいの罠を作り上げてくれるかもね」
「大統領閣下はシングルトンのような、だらしのない男性が好みか。まったく、良い女ほど駄目な男に惚れるとの世間評は、まさに真実だったのだな」
デュバルに茶化された金髪の女性は愉しそうに笑いながら振り返った。二人の女性の遥か後方、砂浜と緑地の境目に二〇代後半の男性士官が控えていた。
女性が振り向いたことに気づいたのだろう。男性士官が会釈している。それを見やるでもなく、デュバルは目を閉じた。それでも、月と星の息吹が瞼を突き抜けてくる。
大統領。この時、そう呼ばれるべき女性は銀河に一人しか存在していなかった。自由連邦大統領、アリシア・ヒューズである。
『二人のアリシア』などと呼ばれることもあるこの二人の女性こそ、自由連邦を支える穏健派の代表であった。大統領ヒューズはともかく、戦場の勇を誇るデュバルが穏健派というのは、奇妙に思えるかもしれない。
しかし、どれだけ強くとも、デュバルの思想は穏健派そのものであった。それは、
「軍を動かすのは最終手段だ」
と常々公言していることからもわかる。穏健派は非殺主義者とは違うのだ。力を振るうべき時には躊躇わぬ、強き信念と力に惑わされない頑強な意思。そして、軍隊にありながら軍隊に囚われない思考。己を知っているという意味において、間違いなく自由連邦最高の軍人であった。
「男の趣味はあなたの方が良いかもね。残念ながら」
言外にデュバルの指摘が正しいことを告げながら、ヒューズは静かに砂を握った。持ち上げた掌から砂粒が零れ、潮風に乗り内陸へと舞い飛ぶ。
「それで、今日呼び出した理由は何かしら。お気に入りの砂浜を披露したいだけじゃないんでしょ？」
「あなたにだけは伝えておこうと」
デュバルの発する一言一句が深くなる。彼女の周囲に漂い始めた真剣な空気に遠慮したのか、波音が小さくなった。
「ライナス・ウェストールの暗殺、どうにもうまく進まない」
紫黒の髪が揺れ、砂粒が仲間達の下へと飛び降りていった。上半身を起こしたデュバルは水平線を見つめる。まるでその先に、彼女の狙う人物がいるかのような、鋭い視線だった。
「星の翼を甘く見ていた」
「あなたほど、彼らを高く評価している人間はいないと思っていたけれど」
小首を傾げるヒューズの言葉に、デュバルは強く首を振る。いまだにまとわりついていた砂粒が離れていく。
「戦場では強くとも、若者の集まり。隙は幾らでもあると思っていた。だけど……」
「思った以上に隙がなかった？」
デュバルは素直に頷いた。
惑星連合軍による共和国の占領が成った後、デュバルは自由連邦に存在する諜報機関、情報機関の総力を挙げて、ライナスの暗殺を謀った。幾つもの計画が立案され、決して少なくはない数の暗殺計画が実行されたのだ。
にもかかわらず、暗殺は一つとして成功しなかった。それどころか、ほぼ全てが実行前に露見し、未然に防がれてしまったのである。辛うじて実行にこぎつけた計画も、決行と同時に惑星連合の治安部隊に鎮圧されてしまい、公にすらならなかったのである。
「星の翼で最も影が薄い人物は？」
デュバルの突然の質問に、ヒューズは暫く考えていたが、一人の人間の名を導き出すことに成功した。
「……メルヴィン・セイデン」
デュバルはまたも素直に頷いた。
メルヴィン・セイデン。ライナス・ウェストールの幼馴染にして親友。艦隊指揮官として優秀であるが、一流には程遠い。現在は惑星連合軍の第六方面軍情報統括部の部長である。
星の翼一一人の中で、最も影が薄い人物がメルヴィンである。このヒューズの答えに同調することのできる後世の研究家は少ないであろう。彼とハーヴェイ・マクラクランこそ、ライナスの陰の部分、諜報や裏工作を引き受けた人物であるからだ。星の翼における彼の重要性は極めて大きい。
だが、これはあくまでも後世の評価なのだ。同時代に生きる人間にとって、メルヴィン・セイデンの名は星の翼の末席にあった。
星の翼の象徴たるライナス、戦女神の長女と謳われるリネットの両名を知らぬ者は、銀河には存在しないであろう。マクラクラン財閥の御曹司たるハーヴェイ・マクラクラン、四家族直系のアイオン・ヘルトリング、テレサ・リーの三名も、二人に劣らず有名である。
上記の五人に劣るとはいえ、天才の二つ名で知られるリック・ブライトン、後方支援に優れるプリシラ・ルイスの両名もその才能を広く知らしめている。
多少知名度が落ちるのは、ジュイル・ワイルダー、ウォルター・パージェス、マーガレット・ランサムであろうが、三名ともに星の翼事件直後から戦功を立てている。彼らの名は一般市民にはともかく、各国上層部の人名録にははっきりと刻まれているのだ。
唯一、メルヴィンの名声だけが低かった。彼とて艦隊指揮官として、リネットの勝利に何度も貢献している。だが、単独での功績は非常に少ない。そのことが、諸外国からの彼の評価を、低いものに押し留めていた。
「……なるほど、最も目立たない人物こそ、最も重要な役回りを受け持っているということね」
ヒューズはデュバルの質問の意図を理解していた。ライナスの暗殺計画を未然に防いでいる人物こそ、メルヴィン・セイデンなのだ。
「カリスマに富んだ名将がいて、戦線を任せることのできる副将格がいて、優秀な前線指揮官がいて、後方支援のスペシャリストがいて……。その上、諜報戦に長けた人物までいる。厄介な存在ね、星の翼は」
「ああ、全くだ。やはり、彼らを直接相手にするよりも、彼らを惑星連合の主流から孤立させるべきだ」
「そうね。情報部の力はそちらに注ぎましょう。……それにしても、あれだけの人材が集まるなんて、羨ましいわ」
「……集まる？」
不自然なデュバルの呟きを、ヒューズは不審に思って振り向いた。そんなヒューズの動作にも気づかないほど、デュバルは不意に浮かんだ考えに囚われていた。
それは、ただの推論に過ぎなかった。結局、口にするにはあまりに馬鹿らしい考えだったので、デュバルがヒューズにその推論を話すことはなかった。
話せるわけがあろうか。星の翼を形成する若者達が、何者かによって意図的に集められた、などという推論を。
だが、一度彼女の心に宿った推論は、彼女から離れようとはしなかったのである。
「弱腰大統領を更迭せよ！」
「ひたすらに戦争の道を邁進する、副大統領と国防長官を断罪する」
刺激的な見出しが壁一面に備え付けられたスクリーンを流れていく。その見出しに足を止める人も多くいたが、ほとんどは見向きもせずに目的地へと歩みを進めている。そんな建国記念宇宙港の広大なロビーを歩く人々の中に、三人の男性の姿があった。
男の一人は左腕に装着した端末をいじりつつ、冷笑を浮かべている。彼の前に浮かんだ小さなホログラム・スクリーンの中では、凄まじい勢いで文字と数字が現れては消えていた。
歩きながらも端末を操作する手を休めない男を、同行者と思われる頬に傷のある男が呆れながらも見守っている。
「アンドリュー、お前さん、随分楽しそうだな」
「当然だろう。やっと、あの変態から解放されるんだ。喜ばずにはいられるか。……結局、一年以上もあの男のお守りをさせやがって。俺の心にかかった絶大な負担分、賠償金を請求してやる」
アンドリューと呼ばれた男は冷笑を顔に張り付かせたまま、端末を操作する手を休めずに返答した。言葉の内容から感情的には激していると思われるが、それが声の調子に現れることはなかった。
「通商連盟経由で自由連邦と惑星連合を往復していた、旦那の身にもなれ」
頬に傷のある男はそう応じたが、彼の本心もアンドリューと呼ばれた男に近いようだ。たしなめはしたものの、全身から同意する気配が溢れている。
「にしても、旦那。あいつを放っておいて構わないんですかね。記憶の刷り込みは完全なはずですが、才能の無さが解決されるわけじゃありませんぜ」
頬に傷のある男が話を振ったのは、三人目の男性であった。筋骨逞しい黒人男性で、軍服がとても良く似合うであろう。
「任務を遂行している時は疑問を持つな」
「……了解っす」
黒人男性の手厳しい言葉に、頬に傷のある男は首を竦めた。
自由連邦の首都星ニューワシントンにある、建国記念宇宙港。人類の裏社会に属する三人の男性がニューワシントンを訪れた時と同じように、惑星から去ろうとしていた。
三人の名はエドワード・ヒネルズ、マレイ・ブロフスノキー、アンドリュー・サイバーグ。宇宙暦四二二年にリオン・オクムラを共和国から脱出させた男達であった。
彼らは宇宙暦四二二年の五月、通商連盟を経由し、密かに自由連邦へと入国していた。とある人物を護送するためである。
その護送されていた人間は、見た目だけならば気品漂う青年であった。たしかに、彼の生まれは名家中の名家である。だが、実際には失敗を重ねて心を病み、実の兄を手にかけた犯罪者であった。
マイク・ワインシュタイン。かつてはワインシュタイン家の次男であった男だが、実兄トミー・ワインシュタインを殺害し、今では惑星連合から追われる身であった。
ヒネルズら三人はマイク・ワインシュタインを救出し、自由連邦のとある場所でかくまっていた。その後、ブロフスノキーとサイバーグはマイク・ワインシュタインの世話をしつつ自由連邦国内に留まり、ヒネルズは惑星連合と自由連邦を往復しながら、ケネス・リッカードの指示を忠実に実行していった。
特筆すべき点はブロフスノキーとサイバーグの行動である。彼らは専門家を何人か雇い、精神的に病んでいたマイク・ワインシュタインを立ち直らせたのである。それだけでなく、偽の記憶を植え付けることに成功したのだ。
彼は自らが兄に手を下したことさえ、他の四家族による陰謀であると信じている。さらに、洗脳の効果はそれだけに止まらない。いまや、彼はリッカードに心酔しており、手駒の一つとなっていた。今はまだ自由連邦内に潜伏を続けているが、いずれ、然るべき時に表舞台へと現れるであろう。
「しかし、時間がかかってしまいましたなあ」
「人の心を操るには、それだけ大きな時間が必要ってことさ」
ようやく自由連邦から離れることができるためか、ブロフスノキーとサイバーグの顔はさっぱりとしている。人の心を洗脳するなど、彼らにとってさえ心苦しい行為なのだ。
「……どうかしましたか、旦那」
急にヒネルズが足を速めた。慌てた二人も歩く速度を上げ、ヒネルズに追いつく。
「いいか、決して振り返るなよ」
「はい？」
「尾行されている」
ブロフスノキーもサイバーグも表情には出さなかったが、ヒネルズの言葉に驚いていた。二人ともこのような隠密行動経験のある工作員である。その二人が気づかない程に熟練した尾行ができる人物など、銀河でもそう多くはない。
「どうします。どこかに誘い込んで……」
「いや、止めておけ。殺気は感じない」
二人はヒネルズの意見に従うことにした。ヒネルズはかつて大気圏内軍特殊部隊に所属し、様々な戦場を生き抜いてきた男である。そのヒネルズが殺気を感じないというのだ。尾行を続けている人間に三人を害する意識がないことは、真実であるようだった。
三人は全身を緊張感で包みながら、足早に広大なロビーを通り過ぎていった。
「律儀な連中だ。用意された経路をそのまま利用するとは」
建国記念宇宙港から出発するシャトルを眺めつつ、男性は呟いた。ビジネススーツには皺一つなく、眼光の鋭さは常人を圧する。冗談の一つも受け入れてくれなさそうな長身の男性であった。
監視の対象であった三人の男達がシャトルに乗り込むのを確認して、男性は宇宙港の最上階にある展望室へと赴いていた。尾行の対象が自らの手の届かないところに旅立とうとしているのだ。通常の工作員ならば、己の失敗を嘆いているか、自らの失策を挽回するために行動を起こしている状況だろう。
だが、彼は並の工作員ではない。そればかりか、彼ほど高い階級を持つ諜報員も銀河には稀であった。彼の姓名はヴァル・ノルティという。所属は通商連盟軍情報部。准将の階級を与えられている、通商連盟軍の将官であった。
惑星連合のケネス・リッカードに注目していたノルティは、文字通り銀河全土を飛び回って、リッカードの策謀を暴こうと活動を続けていた。共同体のサミュエル・シングルトンに、潜伏中の海賊に関する情報提供を行ったのも、彼である
そんな男が自由連邦で追っていたのが、エドワード・ヒネルズを始めとするリッカードの工作員達である。彼らに己の存在を気づかせず、ノルティは監視を続けた。慎重に活動を続け、彼は自由連邦国内に存在するリッカードの息がかかった組織の全貌を把握することに成功していた。
「さて、ヒネルズ達が自由連邦を離れたということは、自由連邦国内での工作は一通り終わったと見るべきだが……。次はどこで策を弄するつもりかな」
疑問を口に出しはしたが、既にノルティはその予想をつけていた。共同体内部に潜む海賊、自由連邦内部に潜むかつての四家族。リッカードは両国をいつでも揺るがすことができる。そのような裏工作が足りない国は、残り一つである。
通商連盟。ノルティの故郷であり、守るべき国である。
「共同体、共和国、自由連邦。他国に肩入れするつもりもないから、本格的に潰すことはしなかったが」
ノルティがその続きを言語化することはなかったが、彼の決意は明白であった。
電子音とともに携帯端末が動き出し、ノルティの前にホログラム・スクリーンが浮かび上がった。定期報告を流し読んだノルティは、唇の端を歪めた。どうやら、笑っているようであった。
「そうか、動き出したか」
それは、通商連盟国内からもたらされた報告であった。そこには、二人の人間の経歴が画像とともに表示されていた。国籍は惑星連合、職業は記者。
「とすれば、この段階でヒネルズ達を移動させたのは、通商連盟内で活動させるためか」
一人納得しながら、ノルティは呟いている。
「星の翼事件を追う記者、彼らを罠に嵌めようとする惑星連合からの亡命者、事態を利用し、歴史の暗部に迫ろうとするリッカード……。さて、我々情報部はどう動くべきか。国内で勝手に動き回られるのも、面白くないしな」
呟きながら報告書を読み進めるうちに、ノルティの細く鋭い目が僅かに大きくなった。報告書の最後に、不確定情報が付け加えられていたのだ。
「そうか、マクラクランの……。あの男、不治の病に臥しているはずだが、頭脳は未だ明晰なままか」
ノルティはホログラム・スクリーンを消すと、たっぷり五分以上も何やら考え込んでいた。やがて、彼は納得したように一つ頷くと、展望室から静かに姿を消した。
なお、同日同時刻に彼がこの展望室にいた記録は残っていない。建国記念宇宙港の全ての監視カメラや音声録音装置から、彼の存在を窺わせるものが発見されることはなかった。もちろん、データベースや監視システムに侵入した痕跡も、残ってはいなかったのである。
シャトルから降り立った二人を待っていたのは、軽やかな音楽と明るいアナウンスだった。戦乱の時代とは思えぬほどに華やかで色彩に富む起動塔の中を、二人の記者が進んでいく。
宇宙暦四二三年七月一六日。星の翼事件を追いかける二人のジャーナリストの姿は、保養地として名高い通商連盟領ヨルバ星系第二惑星オルンミラにあった。
このヨルバ星系は惑星連合からも自由連邦からも遠く離れたところに存在している。戦乱に巻き込まれたのは通商連盟建国時だけであり、長きに渡って平和と繁栄を享受してきた星系である。
ヨルバ星系は鉱物資源も少なく、立地条件も特に優れていない。この地に入植を果たした先人達は、他星系にはない役割をこのヨルバ星系に作り出すしかなかったのだ。
人類の入植前に独自の生態系が確立されていたことが、ヨルバ星系に入植した人々には幸いした。人類の生活に適さない異星の生態系は絶滅に追いやられることが多かったが、ヨルバ星系に入植した人々はそれを保護したのである。
この結果、ヨルバ星系独特の動植物は観光の根幹となり、観光客を楽しませることになる。第二惑星オルンミラはその中心といえる星であった。その名は自国以外にも広く知れ渡っていた。通商連盟だけではなく惑星連合や自由連邦からも観光客が訪れることがあるのだ。
戦乱の時代に星系間旅行を楽しむことができる人間は少ない。星系間航路は軍事的に重要であり、その管理は政府や軍が行っているのだ。星系間の旅は高額であるのが常だった。
ところが、この惑星オルンミラには中流階級向けの店や観光スポットが多い。これは古くから観光業を推し進めてきた、ヨルバ星系の不断の努力によるものである。
富裕層だけでなく、中流階級にも楽しんでもらえるよう、ヨルバ星系の人々は心を尽くした。ヨルバ星系政府は多大な補助金を投入し、リーズナブルな値段で宿泊できる施設を普及させた。観光業者は格安のツアーを考案し、日常生活品や生鮮食料品を取り扱う企業は組合を設立して物価の高騰を未然に防いだ。
他にも住民による清掃活動など、彼らの努力は枚挙に遑がない。連綿と続く人々の営みが、銀河有数の観光地を作り上げたのである。
起動塔のロビーを歩きながら、二人は飛行車の乗り場へと向かっていた。広大なロビーを歩く人々は皆一様に楽しげだ。親子連れから若者、老夫婦まで、質が良く凝ったデザインの服装に身を包み、観光名所を携帯端末のスクリーンに映して話し込んでいる。世間一般にいう金持ちも多いようで、アクセサリーの輝きがロビーのあちこちで反射していた。
「はあ、やっと着きましたね。ほんと、旅の記録をまとめて出版したいぐらいですよ」
「誰が買うんだよ、ジャーナリストの旅記録なんぞ」
「じゃあ、小説にしましょう。冒険陰謀大河浪漫小説が三冊は書けますよ」
「お前さんの文章力じゃ、三流似非恋愛小説になっちまうぞ」
「あれ、先輩知っていたんですか。僕が恋愛小説好きだってことを」
「知らん。興味もない。それ以上は恋愛小説について話すなよ」
後輩の小説談義を抑え、スティッケルは自走式のスーツケースに手を置いた。ホログラム・スクリーンを携帯端末に表示させ、惑星オルンミラでの活動拠点となるホテルを検索する。
ダグレイ・スティッケルとジョルジュ・エリアーデは、かつて星の翼の学友であったクリスチャン・リンディを追って、この惑星オルンミラへと辿り着いていた。
リンディはこの惑星オルンミラで生活している。エリアーデが三一回の偽情報を掴まされた上で、ようやく入手した情報である。もしもこの情報が偽物であれば、エリアーデは三二回目の失敗を喫することになる。
「……止めた。探すのは面倒だ。飛行車の運転手にでも紹介してもらうとしよう」
「そうですね。現地の人の方が、安宿知っているでしょうし」
さしあたっての行動指針を決めると、スティッケルとエリアーデは飛行車の乗り場に向かって歩き始めた。
その歩みが止まったのは、スティッケルが後頭部に痺れを感じたためだ。傍らを歩いていたエリアーデが不思議そうに立ち止まり、スティッケルの顔を覗き込む。彼らの後ろを歩いていた若い男性が迷惑気な表情で二人を追い抜いていった。
「どうかしましたか、先輩」
「……嫌な感じだ」
「え？」
周囲を注意深く観察する。もう一〇〇メートルもいけば、飛行車の乗り場だ。七、八メートルは上の空間に浮かぶ巨大なスクリーンに、第一飛行車乗り場と大きく表示されている。
乗り場には惑星地上への定期便や個人営業のタクシーが何台も見えた。客引きや荷物持ちの声が絶え間なく聞こえ、他惑星への便の搭乗手続きを促すアナウンスが響く。
観光地ならば当たり前の喧騒であった。だが、スティッケルはその喧騒の中に、何か異質なものを感じ取っていた。
周囲を見渡すスティッケルの視界に、一人の人物が捉えられた。半身の姿勢でこちらを向いている白人の男。飛行車の乗り場の脇に佇んでいる。黒いスーツの前ボタンを外し、白いワイシャツの首元を大きく開けていた。視線はあちこちを彷徨い、一定しない。僅かに盛り上がった左の胸元、微かに下がった左肩。そしてなにより、全身に漂う雰囲気。
「別の乗り場にしよう」
「あ、はい。構いませんけど」
エリアーデに声をかけ、スティッケルは左へと体の向きを変えた。一〇〇メートル先にいる男とエリアーデの間に体を割り込ませるようにし、自走式のスーツケースを手近に引き寄せた。
「……エリアーデ、あのオープンカフェの向こうに、第三飛行車乗り場が見えるか」
「見えますけど」
「合図したら、全力で走って飛行車を確保しろ。金に糸目はつけなくていい」
スティッケルの囁き声から危険臭を嗅ぎ取り、エリアーデの顔に緊張が漲っていく。ようやく、スティッケルの危機感に気づいたようだ。
なるべく自然に方向を変え、二人は第三飛行車乗り場へと歩き出した。その刹那、彷徨っていた男の視線が二人を捉え、固定された。
気づかれたか？
スティッケルは視界の端に男を見据えながら、ゆっくりと歩いていく。こちらもゆっくりと男が歩き出し、スーツの左側に右手を滑り込ませた。
「予定変更だ」
「へ？」
「伏せろ！」
叫ぶと同時にエリアーデの襟首を掴んで引き摺り下ろすと、スティッケルは体を沈めスーツケースの陰に身を隠した。ロビーを行き交う人々の注目が集まる。何事かと疑問に思っていた人々は、懐から銃を取り出したスーツ姿の男を見て固まった。
銃が火を噴いた。この時代に一般的なレーザービームを発射するブラスターではなく、火薬式のオートマチック拳銃だ。発射音がロビーに轟き、強烈な勢いを保ったまま弾丸がスーツケースにめり込んだ。
瞬く間にロビーは大混乱に陥った。叫び声や悲鳴を上げながら逃げ惑う人々、あまりに突然のことに呆然と立ち尽くす女性、恐怖心からその場にしゃがみ込む子供を何とか立たせて逃げようとする母親。そんな人々を掻き分けながら、スーツの男は拳銃の引き金を引きながらスティッケル達に向かって駆け出した。
スーツケースを通じて凄まじい衝撃がスティッケルを襲う。踏ん張りながら、彼はスーツケースを必死で支えた。悲鳴寸前の声がエリアーデの口から漏れる。
「う、う、撃ってきましたよ！」
「安心しろ、こいつは防弾繊維を編みこんで作った特製だ！」
「何でそんな物騒な物持っているんですか！」
「こういう時の為にだよ！ 命救われているんだから、ごちゃごちゃ言うな！」
発射音の直後に弾丸がスーツケースにめり込むのがスティッケルにはわかった。その都度押し寄せる揺れに耐えながら、彼の聴覚は怒号や泣き叫ぶ声の中から駆け寄ってくる足音を聞き分けている。
銃声が途切れた。それこそ、スティッケルが待っていた瞬間だった。
全身の力を込めて、スーツケースを蹴り飛ばす。身を守ってあげていた本人から蹴り飛ばされ、スーツケースはなすすべもなく床を滑るように飛んだ。突然飛来してきたスーツケースを避ける間は男にはなかった。下半身を強打して体勢を崩し、床に勢い良く倒れ込む。その拍子に、男の手から拳銃が離れていった。
「今だ、走れ！ 車を確保しろ！」
スティッケルの声に押し出されるように、エリアーデは慌てて駆け出した。足がもつれそうになりながらも、うずくまった人々を下手なダンスのように避けつつ走っていく。
後輩の奇妙な踊りを見送る余裕もなく、スティッケルは男の手から落ちた拳銃に飛びついた。拳銃を握り、構え、倒れた男の黒髪に押し付ける。
「動くなよ、技術レベルが八〇〇年以上遅れた時代錯誤の悪党。これだけ近ければ、あんたの頭を吹き飛ばすのは、コーヒーをまずく淹れるより簡単だ」
安っぽく、それでいてどこかで聞いたような台詞だ。やはり、三流冒険陰謀小説らしい。
自分の言葉に対して場違いな感想を抱きながら、スティッケルは注意深く男を牽制している。四〇代後半から五〇代前半の男性のようだ。そして、どこかで見覚えのある顔であった。
「せ、先輩……」
エリアーデの情けない声が聞こえ、スティッケルは嫌々声のする方へと顔を向けた。
案の定、彼の想像どおりの光景がそこにはあった。カフェテリアの前で、両手を高く上げたエリアーデが、別の若い男性に銃を突きつけられていたのである。
そして、その若い男性の顔を見て、スティッケルは言葉を失った。彼らの追っていたかつての士官候補生、クリスチャン・リンディの顔がそこにはあったのである。
「父を放してもらえないか」
リンディと思わしき若い男性の言葉で、スティッケルは自分が銃を突きつけている男性の正体を知った。デイヴィット・リンディ、彼の父親で惑星連合でも有数の星系間輸送会社に勤務していた男だ。
「……なるほど、演技が下手なわけだ。輸送船に積まれている物資の量を確認するのが、あんたの仕事だもんな」
銃を突きつけられた男性から返答はなかった。屈辱と脅えと恐怖の入り混じった視線でスティッケルを見上げている。
「やはり、僕らのことを知っているんだね、あなた達は」
リンディの声は落ち着いていた。銃を突きつける手にも震えはなく、冷静そのものである。
「ああ。あんたに話を聞きたくて、はるばるこんなところまでやってきたんだが。……取材をさせてくれるような気分じゃなさそうだな」
「残念だが、何も話すつもりはない。それに、話す必要もない。あなた達はここで死ぬのだから」
やはり、そうくるわけか。
表情を消したリンディの顔を見ながら、スティッケルは己の迂闊さを呪った。自分達が捜し求めた人物が秘密を抱えていた場合、誰かを殺してでもその秘密を守ろうとする可能性を考えていなかったのである。
「落ちたものだな。将来を嘱望された士官候補生のエリートが、銀河の外れで名もない記者を殺すだなんて。もっとスマートに事を運ぶ術を教わらなかったのかい」
スティッケルは努めて軽口を叩いた。少しでも時間を稼いで、生き残る可能性を探らなければならない。
「口を慎め。真実から目を背けて四家族に盲従した、忌むべき国家の人間が」
「……まあ、色々と反論したいし、何を言っているのか理解しかねる部分もあるが、とりあえず、俺が引き金を引いたら、あんたの父親が死ぬってことを、もう少し深く考えてもいいんじゃないか」
「全ては人類を縛る鎖を砕く為だ。そのためには、我が父とはいえ、犠牲は止むを得ない」
人類を縛る鎖。その意味深な言葉がスティッケルの脳裏に焼き付いた。彼はその言葉の真意を確かめたかったが、詮索するような余裕はなかった。
リンディがエリアーデに突きつけていた銃口をスティッケルへと向けたのだ。スティッケルは全身の神経を集中させる。
これ以上の時間稼ぎは無理。リンディの銃弾を避け、こちらの銃弾を撃ち込む。それしかこの状況を切り抜ける方法は無さそうだ。だが、自分にそんな芸当ができるか？ リンディの父親を倒したのさえ、幸運の範疇の出来事だ。惑星連合で産官軍の癒着を探っていた時から、命を狙われたことは何度かあるが、相手の命を奪ったことはない。
スティッケルは高速で思考を進めたが、解決策が導き出されることはなかった。リンディが大きく息を吸い込む。混乱の収まらぬロビーの中、彼らの周囲だけが静けさに支配されていく。スティッケルは覚悟を決めた。
しかし、スティッケルの予想していた未来は訪れなかった。静寂を破ったのは、弾丸が空を切り裂く音ではなく、女性の声だったのだ。
「熱くなると周囲が見えなくなる。あんたの悪い癖だ、クリス坊や」
電流の発生する音が響き、クリスチャン・リンディは崩れ落ちた。崩れ落ちた青年の後ろに立っていたのは、小型スタンガンを手にしていた女性だ。いや、外見は少女にしか見えなかった。
「ダグレイ・スティッケルとジョルジュ・エリアーデ。ここでおさらばしてもいいけど、それだけじゃ面白味に欠けるな。……坊っちゃんには怒られるだろうけど」
金のメッシュによって硬質な茶髪がさらに映える。西洋人形のように美しい少女はスタンガンをしまうと、顔をスティッケルから背けた。
少女の視線を追ったスティッケルの目に飛び込んだのは、人混みで身動きがとれなくなっている、起動塔に配置された治安維持局の職員達だ。それぞれが暴徒鎮圧用の警棒や麻酔銃を手に持っている。
少女は爪先で床を軽く四回叩くと、スティッケルに笑いかけた。口汚い言葉がとても似合う口調と、可憐な美貌とが不釣合いだった。
「あたしらについてきて真実の一端に触れるか、あいつらに保護してもらって平穏無事な生活を送るか。五秒で決断しな」
「ついていこう」
「せ、先輩！ そんな簡単に、き、決めちゃっていいんですか！？ こ、こういうことは、も、もっと、慎重にですね」
即答したスティッケルに、解放されたエリアーデが慌てて再考を促す。尚も反論しようとするエリアーデの襟首を引っ張ると、スティッケルは銃口をリンディの父親に向けたまま、ゆっくりと立ち上がった。
「そんな美徳に興味はないね」
「結構。美徳よりも悪徳や背徳のが居心地が良いからな」
言い終わるや否や、少女はリンディの持っていた銃を拾うと、天井に向かって続けざまに四度、引き金を引いた。ロビーに再度轟く発射音。再び起こる悲鳴や怒号の中、少女に導かれて、スティッケルとエリアーデは駆け出した。
「大丈夫か、クリス。……考えが甘かったようだ。マクラクランの手先がこの星にいたとは」
スティッケル達が逃げ出したために解放された、デイヴィット・リンディはすぐさま息子の傍らに駆け寄り抱き起こした。そのまま返答を待つわけでもなく、息子を背負い走り出す。
「……どうして、わかってくれないんだ」
どうやらスタンガンの電流は弱く設定してあったようだ。まだ痺れが残っているため体を満足には動かすことができないでいるが、クリスチャン・リンディは辛うじて動く口で言葉を発した。
「ハーヴェイ、君のやり方じゃ……。人が、たくさん死ぬんだよ。だから……」
クリスチャン・リンディの瞳は現実を見てはいなかった。彼は過去の映像に語りかけていた。道を違えた友人に、語りかけていたのだ。
そんな息子の呟きに、父親は反応しなかった。息子を背負ったまま、父親は人混みの中へ消えていった。
通商連盟ヨルバ星系第二惑星オルンミラでの発砲事件から一夜明けた宇宙暦四二三年七月一七日。惑星オルンミラの発砲事件の影響ではなかろうが、この日、人類社会は小康状態から戦争へと移行を開始することになる。
その発端となったのは、共同体で起きた海賊討伐の開始である。共同体領内に大量の海賊が潜伏していることが明らかになったのは、宇宙暦四二一年のことだ。
通商連盟のヴァル・ノルティ准将よりもたらされた情報を活用し、対海賊の作戦が密かに立案され、監視網が構築されたのが宇宙暦四二二年。そして、宇宙暦四二三年も半年を過ぎたこの日、ついに共同体は海賊撲滅のために立ち上がったのである。
「まったく、貴方が敵ではなくて本当に良かった」
人の良さそうな中年男性に誉められれば、大多数の人々は満足するであろう。それでも、中には素直に受け取らない捻くれ者も存在する。
共同体航空宇宙軍司令長官代理を務めるユル・デミル中将に称賛された青年は、やる気を全く感じさせない顔のまま、小さく一礼した。無造作に伸びた黒髪やだらしのない服装を見れば、とても彼が軍の重鎮であるとは想像できないであろう。
だが、この青年こそ、銀河最高の名将となりつつあるライナス・ウェストールに匹敵すると言われる、共同体最高の軍人なのである。
サミュエル・シングルトン。共同体航空宇宙軍中将。共同体航空宇宙軍副司令長官代理と航空宇宙軍総参謀長を兼任する、共同体随一の将帥であった。
宇宙暦四二二年の共和国争乱において、その高い能力を示したシングルトンは、共同体に帰還するや、すぐさま対海賊作戦の担当者に復帰を果たした。その精力的な活動は、
「僕の周囲三メートルでは、勤勉という言葉は効力を発揮しない」
などと、普段から発言している人物とは到底思えないほどであった。
ただ、彼の活力はどうやら長続きしないようで、大まかな方針や監視システムの修正案を示すと、その実行は信頼する部下や友人に任せてしまい、後は自室でクラッシクを聞きながら寝転がっているだけであった。友人でもあり有能な部下でもあるアシュレイ・ジョーンズ大佐が引きずり出さねば、重要な式典にも参加しようとしない体たらくである。
そんなシングルトンであったが、この日はさすがに共同体首都星ロムルスの航空宇宙軍司令部に顔を見せていた。彼が一年以上もかけて作り上げた海賊対策の実行日が、ついに訪れたのである。
巨大なスクリーンには共同体の全星系が表示されていた。そのうちの一割程が赤く輝いている。その輝きこそ、その星系に海賊達が潜んでいることを示していた。この日までに確認されていた海賊の戦力は艦艇数にして一万二四六三隻にも上る。その全てが航空宇宙軍によって密かに監視されているのだ。
「いよいよですね」
シングルトンの副官である、アーディリア・クロフォード大佐の声に、シングルトンはまたも小さく頷いた。作戦の開始時刻は間近に迫っている。
「時間だ。シングルトン副司令長官代理。作戦開始の号令を」
「……序列から考えて、司令長官代理が行うべきではありませんか？」
逆に切り返されたデミル中将はにこやかに笑っている。
「海賊撲滅の第一歩を示すのに相応しいのは、私ではなく貴方だ。皆さんもそれは良くわかっているよ」
どこまでも穏やかなデミル中将に、シングルトンは屈した。航空宇宙軍きっての人格者とも言われる人の前では、彼も勝手が違うようである。
「……それでは。作戦、開始」
一向に盛り上がらない合図ではあったが、とにもかくにも、火蓋は切って落とされたのである。
「なかなか良いパーツが揃っているでしょう。どれも軍から仕入れた逸品です。中でも、このセンサーなんておすすめですよ。軍が使っている最新の重力検知器の試作品でしてね」
「欲しいのは伝達系の部品だけだ。他は必要ない」
メルクリウス星系に存在する補給プラント、リウォルノ四一。エネルギー精製工場や備蓄槽の連なるプラントの外れに、人々の居住区画が存在する。その中には商店街もあり、大通りに軒を連ねる商店を中心に、日用品を求める客で賑わっていた。
そんな大通りから路地を一本入ったところで、ジャンク屋がひっそりと営業していた。周囲に人気は少なく、訪れる客もまばらだ。
この日の客はどこか憂いのある青年だった。明るめの茶色の髪を短く刈り込み、長身だが細さは感じさせない青年で、笑えばとても好青年であろう。
だが、青年の口調は重く、表情は暗い。何かが青年の心を曲げてしまったようにも見える。
青年は幾つかのパーツを買い込むと、それを手提げ袋に入れて踵を返した。彼は日の当たる場所に長く留まっているわけにはいかない人物であったのだ。
歩き始めた青年が大通りに差し掛かった時だった。ジャンク屋の店主の叫び声が青年の耳に届いた。
青年が驚いて振り向くと、どこから湧いて出たのか、完全武装の兵士達がジャンク屋を取り囲み、店主を取り押さえていたのである。
すぐさま、青年は事態の深刻さを察知した。このジャンク屋は海賊御用達の店だったのだ。既に青年も顔馴染みであり、店主は彼の正体を知っているはずであった。
案の定、店主が何事か喚きながら、青年の方を見た。店主の視線を追い、兵士達の注目が青年に集まる。
「そこの男、止まれ！」
静止の声を振り払うように、青年は大通りへと向かい走り出した。人混みに紛れて、逃走しようとしたのだ。
しかし、追手は用意周到であった。青年の行く手を、私服の男達が遮ったのである。見るからに頑強そうで、目に宿る意思は強い。一般人に成り済ましていた、私服警官であった。
「おとなしくしろ。もう逃げられんぞ」
実にありふれた言葉で私服警官達は青年に降服を促がしたが、彼がそれに応じる様子はなかった。返答の代わりに、青年は懐に手を入れ、何かを取り出す。警官達は慌てて銃を抜こうとした。
次の瞬間、警官達は何が起きたか咄嗟に理解することができなかった。それは、青年を追い詰めようと駆け寄ってきていた兵士達も同じであった。
青年が懐に入れた手を引き抜いたかと思うと、凄まじいまでの閃光が辺りを照らしたのだ。青年を見つめていた警官達は、その光に目が眩んで、一時的に視力を失って立ち尽くした。装甲服のヘルメットで光量を自動調節できるはずの兵士達も、許容量を越えて襲いかかる光の洪水に目を閉じてしまう。
青年が電光のように動いたのはその一瞬であった。立ち尽くす警官の手から銃を奪うと、大通りへと全速力で駆け出したのである。
兵士達が慌てて追いかけた時には、もう遅かった。青年は大通りを歩く人々の中に紛れ、逃げおおせていたのである。
シングルトンの号令により、共同体首都星系クゥイリヌス星系から、共同体全土へと暗号通信文が発せられた。その通信文が到達するや、全星系で一斉に軍や治安部隊が動き始めた。
最初に起こったのは政府系人物の拘束であった。国防省、内務省、外務省……ほぼ全ての省庁に治安部隊が突入し、驚く職員達をかき分け、目的の人物達を逮捕していった。
逮捕されたのは裏で海賊に通じている者達だった。治安システムへの通報を揉み消し、不都合なデータを消去し、海賊に物資を横流した事実を隠蔽する。彼らは隠蔽工作の代償として、莫大な金銭を受け取っていたのだ。こうした官僚や役人の逮捕者は共同体全土で数千人にも及び、共同体社会に激震を呼ぶことになる。
政府関係者の次に捕らえられたのは、民間企業の中に隠れていた海賊の協力者だった。海賊に機材や食糧を提供していたメーカーや密輸業者が治安当局の立ち入り捜査を受け、責任重大とみられる者達が次々と拘束されていく。
政府や民間に潜んでいた海賊一味は続々と摘発され、拘禁されていった。これに危機感を覚えたのが、軍内部に存在していた海賊の協力者である。彼らの多くは逃げ出そうとしたところを憲兵隊に待ち受けられ、留置所へと連行された。極少数の人間は自殺を試みたが、警戒態勢にあった軍警察に察知され、自ら命を絶つことすら許されなかった。
僅か一昼夜の間に、海賊を支えてきた裏組織が壊滅へと追い込まれたのである。極秘裏に進めてきた海賊対策が、実った瞬間であった。
それでも、最初の大摘発を逃れた人間は幾人も存在していた。軍や警察は全力で逃亡者を追い、そのほとんどを逮捕したが、極少数の協力者達は逃げ延び、海賊と合流することになる。
メルクリウス星系外縁部へと向けて進むシャトルがある。その内部には、数人の男女が乗っていた。皆、一様に疲れきっていて、会話もなければ動きもしない。ただ事態の大きさに呆然とするだけだ。
メルクリウス星系には八六人もの海賊の協力者が存在していた。そのうち、このシャトルに乗ることができたのは、たった五名に過ぎない。残りの人間は捕らえられ、法の裁きを待つことになるだろう。
シャトルを操縦しているのは、補給プラント、リウォルノ四一で見事に逃げおおせた青年であった。やはり疲れてはいるようだが、他の同乗者とは違い、その瞳には未だ力強い光が宿っている。
青年は後悔していた。彼を含む海賊全体が、共同体を甘く見ていたのだ。自分達を監視するシステムが作られていることを、海賊達は知っていた。だが、ここまでとは考えてもいなかったのだ。
リウォルノ四一にあったジャンク屋は、海賊達との取引がある業者の中でも、最も規模が小さい部類に属している。通常の摘発ならば見つからないか、意図的に見逃されるか、その程度の存在なのだ。
にもかかわらず、共同体の摘発により、ジャンク屋は差し押さえられてしまった。これは共同体の摘発が徹底していることを示すと同時に、共同体が些細なつながりまでも把握していることを意味していた。
「……どうやら、脱出計画を早めなければならないようだ」
青年は決断を下すと、すぐさま端末を操作し、シャトルの目的地を変更した。
海賊の協力者を一斉に摘発、捕縛すると、シングルトンは作戦を第二段階へと移行させた。各地に点在して潜んでいた海賊達の実戦力に対し、攻撃を開始したのである。多くの海賊達は主要航路から外れた無人星系に潜んでいたが、そこを共同体軍が強襲したのだ。
海賊達は必死に応戦した。略奪、誘拐、殺人。非合法な手段に手を染めてきた者達である。捕虜となれば、一生刑務所暮らしか、辺境の惑星で重労働を科せられるか、処刑されるかの三択しか残っていない。そのどれもが避けたい未来であった。
しかし、努力実らず、海賊達は刻一刻とその数を減らしていった。そもそも、海賊が常日頃相手にするのは、非武装の商船や軽武装のパトロール艦や軍艦である。重装備の正規軍艦艇とまともに戦っては、戦闘にすらならないのだ。
やがて、戦闘の継続を断念した海賊達は、脇目も振らずに逃げ出し始めた。敵わないのならば逃げれば良い。軍隊とは違う身軽さを最大限に生かし、彼らは脱出を図ったのである。
ひたすらに逃げる海賊に対し、共同体軍は追撃よりも治安維持を優先させた。民間に被害が出ては元も子もないためであったが、それ以上に、更なる罠が用意されていたのである。
「厄介なことになったもんです」
整備の行き届いた戦艦の艦橋に、数一〇人の男達が集っていた。目つきが悪く、柄も悪い男達の中に、きっちりと服装を整えた紳士が数人混じっている。
男達の中心にいるのは、ただの一本も頭髪が残っていない、四〇代半ばから五〇代半ばの実業家風の男だ。忙しなく歩き回り、落ち着きが全く見られない。
「少々早いですが、計画を実行するしかないでしょう」
誰に語りかけるでもなく、男は独白を続けている。
「契約の不履行になるんでしょうな。人に責められるのは慣れていないから、あまり怒らんでもらいたいが……。無理でしょうなあ」
頭頂部を何度か叩いているが、それで毛髪が生えてくるわけもなく、名案が浮かぶわけでもない。
オペレーターの声によって、男達はメイン・スクリーンへと向き直った。スクリーンには共同体全域の星系図が表示されており、幾つもの赤い光点が一方向へと流れていた。そのうちの一つが点滅を始め、男達が見守っている間に消えた。
どこからともなくため息が漏れた。光点の消滅は同業者の消滅を意味している。この瞬間、またも戦友が失われたのだ。
「悪党よりも悪辣とは。あの間抜けな顔の兄ちゃんも、少しはやってくれるようですな」
男は両手で頭を掻き毟った。もちろん、頭髪はないから、頭皮のマッサージぐらいにしか見えなかったのだが、本人は至って真剣に悩んでいたのである。
見ず知らずの人間に誉められていることを知ったら、間抜けな顔の兄ちゃんとやらも喜んだであろうか。残念なことに、彼は男性から誉められても煩わしく感じるだけであった。女性からの称賛は素直に受け入れたが、これも女性という単語の前に、綺麗な、気立ての良い、などの修飾語が必要であった。要するに、我侭で捻くれているのである。
その間抜け顔で捻くれ者で悪辣なシングルトン中将により、海賊達は共同体全域で消滅しつつあった。
共同体各地の隠れ家から追い出された海賊達は、様々な航路を活用して、ラウェルナ星系を目指しつつあった。かつて、宇宙暦四二一年にライナス・ウェストールと海賊達とが出会った星系である。既にラウェルナ星系に存在していた海賊の根拠地は放棄されていたが、緊急の場合に集結する地として、このラウェルナ星系が選ばれていたのだ。
ラウェルナ星系まで辿り着くことができれば、海賊達の生存率は飛躍的に上がったことだろう。海賊一の戦上手として知られるグロリア・クリアーノ率いる艦隊が、最も早く共同体軍の攻撃を察知し、ラウェルナ星系に到着していたのである。クリアーノ率いる海賊艦隊は真正面からの戦いで正規軍を破ったこともあるのだ。彼女の艦隊と合流すれば、生き残れる可能性は高くなる。
しかし、海賊達の大半はラウェルナ星系に辿り着くことさえできなかった。その道中で待ち受けていた共同体の小艦隊に補足され、撃破されたのである。
ラレス・ウィアレス星系を例にすると、まず、第一の部隊が海賊達の隠れ家を襲撃し、海賊を巣から叩き出した。次に、同星系外縁部に展開していた小艦隊が、逃れてきた海賊に攻撃を加える。
猛攻を凌いで長距離跳躍を行うことができても、海賊達の前には新たな共同体軍が待ち受けている。ラレス・ウィアレス星系から長距離跳躍を行って到達することのできる星系はラレス・コンピタレス星系とラレス・ファミリアレス星系であったが、そのどちらの星系にも、共同体の艦隊が展開していたのだ。
両星系の共同体艦隊から逃れることができたとしても、海賊達の受難は終わらない。ラウェルナ星系への道中に存在する星系全てに、共同体の艦隊が臨戦態勢で控えていたのである。
共同体軍の、シングルトンの作り上げた包囲網は幾重にも張り巡らされていた。これだけ大規模な包囲網を海賊達に感づかれぬよう作り上げ、作戦の実行まで維持し、隠匿したのだ。この一点だけでも、シングルトンの非凡な才能は明らかである。
蜘蛛の巣に絡めとられるように、海賊達は次々と共同体軍の包囲網に捕らえられていった。一度は逃れることができたとしても、二度、三度とそれが続けば、やがて限界が訪れる。海賊の大半は仲間と合流すること叶わず、星屑の一部と成り果てたのである。
短く刈り揃えた銀髪が揺れる都度、激しく鋭い指示が飛ぶ。荒くれ者達を統率するだけの威厳を兼ね備えた声が激励の鞭となり、海賊達を突き動かした。
宇宙暦四二三年七月二一日午前六時三二分。ラウェルナ星系は乱れ飛ぶビームと舞い躍る跳躍弾に翻弄されていた。同日午前六時頃から始まった海賊と共同体軍の戦闘は、共同体軍が圧倒的な優勢を保ったまま、終焉へと向かいつつあった。
「ヴォウルティスの言うとおり、ただの間抜け顔の兄ちゃんだったら良かったのにね！」
指揮の合間にも女性の口から愚痴が漏れる。動物に例えるならば雌獅子だろうか。唇の厚い黒人女性が男どもを叱咤しながら、共同体軍に立ち向かっていた。
サミュエル・シングルトンによる海賊撲滅劇場は、その最終幕を迎えていた。彼の作り上げた包囲網により、海賊の大半は各個撃破され、既に分子へと還元されてしまっている。残った海賊達はどうにかラウェルナ星系に集結し、絶望的な戦いに身を投じていた。
ラウェルナ星系に集まることのできた海賊の戦力は、一一九八隻。共同体全土に潜伏していた海賊の一割にも届かない。実に九割以上が、シングルトンの包囲網によって地獄へと放り込まれたのである。
ラウェルナ星系に残った海賊討伐へと向かったのは、共同体軍第二、第三、第四、第五艦隊の、計四個艦隊である。その戦力は約一万五〇〇〇隻。一〇倍もの艦艇が、海賊へと牙を剥いていたのだ。
「ビクトル、あんたはどう思う？」
命令と命令の隙間を縫って、女性は傍らに控える青年に助言を求めた。細さを感じさせない、茶髪で長身の青年が重い口を開いた。補給プラント、リウォルノ四一から逃げおおせた青年であった。
「潮時かと」
「そうね。これだけ差があったのに、よくもここまで戦えたもんだ。……各艦に伝達！ 己が生き延びることを最優先し、戦場を脱出せよ。次に会うのは、ファビヌス星系だ！」
半ば自暴自棄気味の喊声が艦橋と通信網に広がっていく。海賊達は真正面から戦うのは苦手であったが、逃げるのは得意であった。決して埋めることのできない戦力差が共同体軍との間には横たわっていたが、それでも、幾らかは逃げ切ることができるであろう。
「グロリア、敵の左翼に綻びが見える。突けば崩れるぞ」
「了解。その隙に逃げるとしましょうか」
ビクトルと呼ばれた青年の暗くはっきりした声に頷き返し、グロリアと呼ばれた女性は新たな攻撃指令を部下へと伝えた。
「ラウェルナ星系からリビティナ星系、ムネモシュネ星系に至る戦いの結果、我々は海賊の大半を撃滅することに成功した」
拍手と歓声が会議室を包んだ。友人や部下から祝福されたシングルトンは、相変わらず面白くもなさそうな表情で彼らの喜ぶ姿を観察している。
ラウェルナ星系での海賊との戦いから三日後。航空宇宙軍司令部で、司令長官代理ユル・デミル中将による、対海賊作戦の報告が行われていた。
宇宙暦四二三年七月一七日から同月二四日まで続いた海賊撲滅作戦の結果、共同体領内に潜伏していた海賊とその関係者のうち、約二〇万人が逮捕拘禁され、当局による取調べを受けている。また、一万二四六三隻の海賊船のうち、一万二〇〇〇隻以上を撃破することに成功し、残った艦艇のうち、三〇〇隻ほどが惑星連合方面へと撤退していたことが確認された。
海賊撲滅作戦は秘密裏に実行され、多大な功績を上げた。グロリア・クリアーノ、ハロルド・ヴォウルティスら、海賊の中心と思われている重鎮達を捕らえることができなかった点が残念ではあるが、それでも十分な成果であった。
そのような些細な問題はあるにせよ、作戦は大成功と呼んで差し支えがない。にもかかわらず、シングルトンは普段と変わらぬ態度から、僅かに苛立ちを覗かせていた。
彼の心に引っ掛かっているのは、共同体軍第二艦隊がラウェルナ星系での戦いにおいて傍受した、グロリア・クリアーノの通信文である。海賊の通信は軍隊の用いる通信に比べて、機密性が著しく低い。傍受と解析も容易にできるのだ。
「次に会うのは、ファビヌス星系だ！」
グロリア・クリアーノの言葉を素直に解釈すれば、今は惑星連合の領土となっているファビヌス星系こそ、彼らの目的地ということになる。そのまま素直に解釈を続ければ、彼らは惑星連合に保護を求めようとしている、と推察することができる。
海賊を裏で操っているのは惑星連合である。そこまでは前々からシングルトンが想定していたことである。宇宙暦四二一年に、通商連盟のヴァル・ノルティ准将から海賊の情報提供を受けて以来、注目してきた点だ。
海賊の裏に惑星連合が存在する以上、共同体から追い出された海賊達が惑星連合を頼って落ち延びるのは、至極当然の成り行きに見える。だが、この当然の成り行きにこそ、シングルトンは釈然としない気持ちを覚えるのである。
海賊とは、非合法の集団である。惑星連合が彼らを保護すれば、他の三カ国だけでなく、国内からも反発を招くことは必至だ。たとえ義賊と呼ばれる者達であろうと、法を犯した存在であることに変わりはないのだ。
秘密裏に海賊を匿うことも考えられる。しかし、それも現状では難しいであろう。共同体はこの海賊撲滅作戦とその成果を大々的に公表する。既に、その予定表とやらの一部が、シングルトンの下にも届いていた。
海賊を撃退したこと、彼らが逃亡した先が惑星連合であること。この二点を公表すれば、それだけで惑星連合に対する無言の圧力となる。人々は惑星連合国内へと逃げ込んだ海賊について情報を求めるし、惑星連合政府の対応を注視するであろう。
結局、惑星連合にとって最も良い方策とは、海賊達を自分の手で捕縛、撃退してしまうことである。逆に言えば、それ以外の方策では国内外からの反発を招く。
惑星連合が海賊を撃退した場合については、その先の展開を深く考える必要はないだろう。惑星連合と諸外国の間に、大きな変化は起こらない。
シングルトンが考えねばならないのは、惑星連合が海賊を保護した場合である。この仮定どおりに事態が進めば、自由連邦と共同体は惑星連合に手厳しい弾劾を浴びせるであろう。それだけに留まらず、海賊を匿ったことを理由に、本格的な侵攻を開始する可能性すらあった。
この海賊撃退が、新しい戦争の火種にならないといいが。
勝利に沸き躍る人々を冷静に眺めつつ、シングルトンは心中で信じてもいない神に祈ってみることにした。
ただし、やはり信心の足りないものの祈りは逆効果なようである。やがて、この一連の海賊撃退騒動が、未曾有の大戦を引き起こすことになるのである。
Ver 1.0 2007.02.13 ～ 2007.02.14
Ver 1.0 2007.03.06